___ Blue The Cat ___

1993年 9月10日 〜 2010年 6月30日
blue photo


ブルーまで天使になってしまった。 2010年6月30日水曜日、丁度正午に息を引き取った。
猫に腎不全は付きものというけれど 年齢も考えずについうっかり、嗜好品を与えすぎたのがいけなかったのかもしれない。
処方食だけで満足してもらえば もう少し長生きできたのかも知れないなどと、ついつい悔やんでしまう。

最期の時であれば 獣医任せにはしておけない。 食べたり遊んだりはもう出来ないにしても、手元に置いて、せめて、
いつもの場所で ひなたぼっこをして過ごし、いつものように 私と一緒に眠るという 彼女の日常は変えたくなかった。
脱水症状がひどいので、気休めにしかならないと分かってはいるものの、毎日、近所の獣医さんに行き、皮下に輸液を
入れていただいた。 今度ばかりは、所有者の次男にもメールで知らせた。 ぎっしり詰まったスケジュールの最中、
直ぐに帰省して ブルーとの最期の一夜を共にした。 思い出を噛みしめたことでしょう。

それから二日後、昼の12時少し前、獣医さんから帰って、私の机の横に分厚く敷かれた布団の上に横になっていた
ブルーが口で大きく息を吸った。 あ!っと感じて ぺったんこになった胸をさすった。 2、3秒ほどして また息を吸った。
何度かくり返すと 一段と大きな息を吸って呼吸が止まった。 聴診器を胸に当て心臓の小さな鼓動に耳を済ましたが、
程なくそれも止まった。 猫の平均寿命は15年というから、平均は超えたのけれど、20年は生きて欲しかった。
猫と言ってしまうには余りある、ブルーという名の素晴らしい仲間との出会いは、終生忘れることは決してない。




- 大好きな場所、テレビを見る指定席 -


- 10月30日撮影だから、50日令くらいかな〜 -


- 生後2ヶ月、パパに猛攻撃! -


- 1才半の さくら姉さんは優しく守ってくれます -


ブルーは別府市鶴見の安部家で生まれました。 母親はクロちゃん、全身真っ黒で 日本猫らしい丸顔の美人で、完璧なコの字型の鍵尾で、長い尾をしていた。 クロちゃんの系統は、代々ねずみ取りの名人らしく、安部家には欠かせない住人だったそうです。 父親は隣に住んでいた純粋種のヒマラヤン。 素晴らしいコートでふっくらとした立派な体形の彼が、クロちゃん家の庭を優雅に散歩しているところに出会ったことがある。 ブルーは 「綺麗な顔をしたシャムですね」 とよく言われた。 母親譲りの丸顔と 父親譲りの毛色が相まって、純粋種のシャムよりはずっと可愛い顔をして、毛足も長かった。

安部家とは、1992年2月14日に生まれた ”さくら” たちの同胎の牡犬、チャーリー君が 引き取られて以来のお付き合いだった。 翌年の9月末頃、家族で別府に遊びに行った帰りに チャーリー君の様子を見に 安部家に立ち寄ると、猫の子は要らないかと聞かれた。私が戸惑っていると中1だった次男が 「いる」 と返事をした。 安部さんは独り住まいで、大きな二階建ての家の一階で暮らしていた。 広い二階は、クロちゃん一家が占領していた。 クロちゃんは見せて良い頃になると 子猫を階下に連れて来るらしかったが、その時はまだ連れて下りて来ていなかった。 安部さんが二階に覗きにいくと、クロちゃんそっくりの真っ黒な子猫がふたつと、お父さんそっくりの毛色の子猫がふたつ、全部で4つの子猫が生まれているらしかった。 お父さん似の女の子が良いと決まると、安部さんは、目が開いたばかりのシャム猫のような毛色の、やせた小さな子猫をひとつ持って階下に戻って来た。 「妻鳥さんは子育てに慣れているから大丈夫でしょう」 と両手を揃えた息子の手に乗せてくれた。 母猫のクロちゃんに、大切に守られて育てられていた子猫は 息子の手に移されても驚かずにまどろんだままでいた。 私の片手にすっぽりと収まる程の小さな女の子は、手の温もりの中ですやすやと眠ったまま我が家に到着した。

美しい目の色からブルーと名付けた。 養育はゴールデンたちにお願いしたが、特に子育て上手な 我が家のチャーリーが養父となった。 寝そべっているチャーリーの懐に子猫を置いてやると、彼は嬉しそうな表情を見せた。 それからの毎日、彼はブルーを宝物のように抱えて 眠り、じゃれつくブルーの相手をし、大切に見守って育ててくれた。 母乳だけで育っていた子猫の食事は 牛の生肉を叩いて与えた。 しばらくすると、チャーリーの食事に横から頭を突っ込み ドッグフードを カリカリと食べ始めた。 ドライフードをしっかり食べられるようになるまでは生肉を主にして、体重は50分の1だけど、 気持ちは立派な ゴールデン・レトリバーに育っていった。




- 養父母のサイズは50倍、頼りになる チャーリー と ロキシーに育まれて、たくましく育ちました -





ブルーは チャーリー、ロキシー、Jr.コリー、ドナ、さくら、など バードランドの すべてのゴールデンたちの愛情に育まれて成長した。 私たちと ゴールデンたちの会話を聞いて育ったせいか 言葉をよく理解し、よく喋った。 私たちに 声や態度で明確に意志を表示した。

ブルーも勿論 ねずみを上手に取るDNAを受け継いでいた。 近所でネズミを捕獲しては生死に係わらず、私の枕元にプレゼントしてくれた。 夜中に ”ササッ” と動くブルーの足音がしたときは、即座に起きあがって電気を付けると、たいがい外で捕獲したネズミを部屋に持って帰ってきて追いかけて遊んでいる。 2003年に長年住んでいた住宅街から田舎に引っ越すことになった。 近所に挨拶回りをすると、ブルーちゃんは上手に、ねずみを捕ってくれたのに 居なくなるのは残念だと、思わぬ讃辞を頂いて、ブルーだけは近所に惜しまれた。 ヤンヤンや デューク、シロピーなど、ゴールデンの子犬が生まれたときには、お産箱の中に入って 積極的に子守をしてくれた。

現在の田舎に越してきたのはブルーが10才の時。 「猫は家に着く」と聞いていたので心配して、越してきてしばらくは外に出さなかった。 ブルーが猫らしくない猫であることを考えて すぐに解禁にしたけれど、何の問題も起こらなかった。 それからは本当に気ままに暮らした。 乱暴に飛びかかってくる子犬の世話はしなくなったが、大人のゴールデンと外で一緒に過ごすのが好きだった。 外をプラプラ散歩したり、お気に入りの場所で日光浴をした。 私たちの食事の時は テーブル席の自分の場所に座って 美味しい物が目の前に現れるのを待っていた。 するめ、焼き海苔、刺身、牛の生肉、蒸した鶏肉が好物だった。 夜は私の布団で一緒に寝たり、箪笥の上に置いたクッションで寝るのが常だった。




- ブルーが3才の時 チャーリーが白血病になった -
最期の3日間ブルーは片時も離れず付き添った。


- 亡くなる前の月、5月28日エーメと -


- ベティの息子ルイと、子犬をよく遊んでくれました -


- ブルーの日常、皆と一緒に日向ぼっこ -


ブルーが3才になる頃、チャーリーが白血病になった。 気づいたときはもう末期で10日目に亡くなったが、チャーリーが寝たっきりになった 最期の三日間、ブルーは片時も チャーリーの側を離れなかった。 その後、お世話になったロキシーやドナを見送り、ブルーが子守をして育てた ヤンヤン、デュークなど、バードランドの多くのゴールデンを見送ってきた。

ブルー自身は 元気で強い猫で、町内のボス的存在だった。 一度、若い猫を追いかけ回している ブルーの姿を見たときには「同一猫」かと疑うほどの勇ましい姿だった。 車に跳ね飛ばされたような 事故にあったことが一度ある。 これは想像の域を出ないが、帰ってこないので心配して町内中を探して廻ったが 見つけられなかった。 3日程して帰って来たときには、変な歩き方で 少しの段差もジャンプできなかった。 かつて目撃したときのように、若い猫を追いかけ回して車に跳ねられ、骨盤付近を痛めたのではないかと想像する。

田舎に越してきた翌年2004年の夏、急性腎不全になった。 獣医には 「手の施しようがない、」 とサジを投げられたが、入院させて点滴をしてもらうと、嘘のようにケロッと良くなった。 その二年後、また同じ症状になったので、同じ治療をすると、またケロッと良くなった。 それから4年、今度は同じように上手くはいかなくて、期待は完全に裏切られた。 しまった!猫の腎不全に対する認識が甘かった、と深く反省した。彼女の年齢を考えて用心すべきだったと後悔した。 彼女ほどの猫には もう二度と巡り会えないと思うと、やはり 20年は生きていて欲しかった。




- 豊津に越してきたばかり・充実していた10才の頃 -


- 2005年8月 満12才平和に暮らしていました -


. . . miss you. . .