A blossom, there!
Where once there was none,
Vivid in all its hues and tones,
Dancing on the winds of time,
The blossom, where?
When joy had just begun,
Absent from its verdant home,
Leaving the fragrance of thyme.


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 ゴールデンレトリバーとの出逢い

息子がまだ幼い頃、犬を飼いたいと言いだした。
当時トイプードルを飼っていた友人に プードルの子犬を分けてもらえないかと頼むと、あなたにプードルは合わないと思うから純血種の中から自分に合った犬種を選んだ方がいいと アドバイスされた。 純血種を薦める理由は飼えば分かるからと言うことだった。 彼女は大正解だった。

犬そのものについて、それに、犬をどこで手に入れるのかについて、まるで知識がなかった私たち母子は、犬の百科辞典や雑誌を手当たり次第に買って、写真や解説を読みあさった。
どれも心を動かすような犬種はいなかった。 あるとき、犬の専門雑誌に ゴールデン・レトリバーの子犬が生まれたという 広告ページが掲載されていた。 当時ゴールデンはまだ珍しい犬種だったので、ゴールデンの広告はそれ1件だけだった。

両親犬と生後間もない子犬の写真が載っていた。 穏和そうな母犬の雰囲気が気に入って、京都まで会いに出掛けた。 実際に母犬を見た途端 「大きい!」 と思ったけれど 「犬らしい」 というのが第一印象だった。 優しそうな目と穏和な態度は 本に掲載されていた写真を見て感じた通りだった。 子犬は確か5〜6ヶ月くらいになっていたけれど譲ってもらえることになった。
それが我が家の最初のゴールデン・レトリバー、チャーリーである。 我が家で飼う犬を探し始めてから、ゴールデンに決定するまで ほぼ二年間もかかっていた。

1986年5月、一匹のゴールデン・レトリバーが加わって、我が家は5人家族となった。
その年の11月、近所のペットショップの方に誘われて、熊本までドッグショーを見に行った。
後日、そのときの写真を見ると、FCI九州インターナショナル・ドッグショーであると分かった。
沢山の人と、始めて見る様々な種類の犬に驚いたが、一番驚いたのは ドッグ・ショーに出ているゴールデン・レトリバーと、私の所有しているゴールデン・レトリバーが 同じ犬種とは思えないほど違っていたことだった。 そして、それを 「何故?」 と思ったことから ”バードランド” が始まった。

我が家のチャーリーの母マギーは 英国盲導犬協会ガイドウェル 《Guidewell》 からの輸入犬で、由緒正しい英国の盲導犬の血筋である。 ドッグショーで見たのは、後日 私が所有することになる コリー という呼び名のアメリカ・チャンピオンの牝で、”バードランド” の初代基礎犬となった
”Am Ch. アダージオ・コードレーン” だった。 英国からの輸入犬と 米国からの輸入犬なのだから、見た目の違いは一目瞭然だったわけだ。

当時、日本には ゴールデンに関する書籍などの資料がなかったので、英国や米国の友人に
頼んでゴールデン・レトリバーに関する本や雑誌を何冊も送ってもらって読みあさり 「私の何故」 に答えを探した。 そして ブリード・スタンダードにたどり着き、多くの有名なチャンピオンの写真にたどり着き、家族のパートナーとして幸せに暮らしている数多くの ゴールデンに たどり着いた。

1986年の暮れ、チャーリーの遊び相手にと思って、ゴールデン・レトリバーの女の子を飼った。
それは、ドッグショーで見た コリーが最初に生んだ仔犬の中から選んだ女の子で、偉大なお母さんにあやかって、コリーと名付けた。 まさか後日、母親のコリーまで我が家に来ることになるとは想像もしなかったので、後日 娘の方はジュニア・コリーと呼ばれることになった。

ゴールデン・レトリバーという犬種が少し理解でき始めた頃、小学校三年生だった次男の腎臓の一方が3cm程しかないことが判明。 もう一方の腎臓がやや大きめで、二つ分の働きをしているので、成長過渡期に腎炎になる可能性があるという。 発病させないためには食事の管理を徹底することが必要だと医者に注意を受けた。 それで私は仕事を辞め、家事に専念する決心をした。それまで専業主婦の経験がなかった私は、余りある時間の割り振りに苦慮する毎日だった。

その機会を利用してゴールデン・レトリバーについて知識を深めようと決心し、米国各地にドッグショーを見に行ったり、米国のブリーダーに会って、貴重な話を聞く機会を得たり、講習会に参加させてもらったりと、当時の私に出来る限りの情報収集に奔走することができた。 振り返ってみると、それは楽しくて、有意義で、貴重な、素晴らしい経験であったと思う。

家族として暮らせる賢さと従順さを備えたゴールデン・レトリバー、しかも美しいブロンドのコートと上品な顔のジュニア・コリーは、きっと美しい家庭犬を生んでくれるに違いないと思い ”繁殖する” ことを決心した。 そして 1992年、バードランド初の ゴールデン・レトリバーが 誕生した。


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 素晴らしい仲間

家族としてのゴールデン・レトリバーを作るのことを目的に繁殖を始めた。
ゴールデン・レトリバーはとても健康な犬種で、しかも一緒に暮らして 我々を和ませてくれる偉大な力をもった犬種だと思ったからです。 たとえドッグショーに出すとしても、生涯のほとんどの時間を家族として暮らすのだから 『良い家庭犬』 を目標に繁殖することは何よりも大切なことです。

繁殖を手がける者は 『良識ある者』 として、一生涯 健やかに過ごせるよう、心身共に健全な子犬を作る責任がある。 繁殖倫理 (Code of Ethic) が 頻繁に言われるようになってきている今日、改めて、各国のケネルクラブが作成している倫理基準や繁殖規程を読んで見ると、明らかな遺伝的疾患を持っている犬、不健全な気質や先天性の欠陥のある犬を使用しないなど、人道的立場からみると、至極当全な事柄が明記されている。 参考:FCI繁殖規程

それを踏まえた上で、さらに理想的なゴールデン・レトリバーを追求するには、犬種標準 (ブリードスタンダード)を完璧に理解する必要がある。 犬種標準書に記述されている理想像は 単に外見の美しさだけを追求している訳ではなく、その犬種にとって 心身ともに健全で快適な暮らしをするための基本的で不可欠な要素が詳細に述べられているのである。
”繁殖をする” ということは 「犬種としての理想像とはどのようなものか」を、標準書の記述から理想的なゴールデン・レトリバー像を詳細な部分に至るまで、具象化していく努力をすることである。ドッグショーに出陳するために 《 ショードッグ 》 を作るのではないことを明記しておきたい。
ましてや、倫理感の欠如しているような繁殖などは 論外である。

ドッグショーとは、繁殖者が どのようにスタンダードを理解していて、どれほど理想像に近い犬を作り上げたかということを評価してもらうのが本来の目的である。 繁殖を手がける者は ドッグショーに出陳して、自分の作り出した作品が 正しい方向を向いているのか、どこに問題があるのかを評価してもらうことは、繁殖者自身の改良の指針となり大切なことである。

繁殖に際しては、心身共に健康な牝犬だけを用いるべきで、安易な妥協をしてしまうと、その後、何世代にも渡って後悔し続けることになる。 母体をベストコンディションに保ち、母犬が安心して子育てできるよう環境に注意を払うこと。 心身ともに健康で、心豊かな母犬と良い環境は 子犬の感性を養うのに大変重要で 素晴らしい家庭犬を作り出すための必要条件であると確信している。

ゴールデン・レトリバーは感受性や思考が とても人間に近い犬種だと感じている。
定期的な予防注射や、食事や運動で調整できる肉体的な健康管理はもちろん大切だが、それにも増して、過剰なストレスのない、精神的な健全性を保つことに管理の比重をおいて頂きたい。 家族の一員として、彼らの存在を認め、仲間意識と優しさを持って接するなら、ゴールデン・レトリバーが心身共に健康で、長生きをするのは、たいして難しいことではない。

ゴールデン・レトリバーと暮らして 意思の疎通をはかることが出来ると、私達が見失っていたものを発見させられ、素晴らしい 『 心の選択肢 』 を増やしてくれるような気がする。


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 お仕舞いのとき

ゴールデン・レトリバーと巡り会って、彼らに思っても見なかった素敵な場面に連れて行ってもらった。 普通に暮らしていれば決して味わうことのない スペクタクル、数々の素晴しい経験をさせてもらって夢中になった。 気がついてみれば四半世紀近く経っていた。
長男は 映像プロデュース会社(株)デルトライブのオフィスを六本木に構え、エンジン全開。
次男は 科学者を目指し奈良先端科学技術大学院大学の博士課程に在籍 Ph.Dとなる日も近い。 「犬を飼いたい」 と言った子供たちは それぞれが進むべき道を しっかりと歩み始めた。

このところ、我が家で生まれたゴールデン・レトリバーたちが相次いで亡くなった。
私の運転する車で一緒に関西、関東のドッグショーに遠征して 私のハンドリングで感動を共有してきた相棒たちが 私の腕の中で最後の呼吸をしたとき、ブリーダーとして、オーナーとして、最後の勤めとはいえ 命のはかなさを思い知らされる。 ことあるごとに様々な記憶がよみがえり、写真に向かって話しかけたりする。 もう繁殖は止めよう、その度に口に出して言ってしまう。 感傷的にではなく、どのように締めくくるべきなのか悩むところではある。 『 お仕舞い 』 が さり気なく訪れてくれることを願うばかりである。

犬舎名の由来でもある ニューヨークのジャズクラブ・バードランドは、ブロードウエイ106丁目から44丁目に移転している。 同じネオンが点灯しているものの雰囲気の違う店になってしまった。
Good Old Days、ゴールデン・レトリバーもジャズクラブも 素敵な思い出は記憶の中で健在です。


☆   ☆
"Good Old Days"
ゴールデンたちも ジャズクラブも
素敵な思い出は記憶の中で健在です
Jazz Club "BIRDLAND" Broadway 106, New York Feb. 8. 1993